体育祭から二日後。再び学校に登校した生徒達は、再び座学授業の波に飲まれた。
そして部活動は本格化する。軽音楽部は部員数二名という状況の為、部として発足していない。晋助はバンド結成は承諾したものの、当然ながら部活動の運営に積極的になる訳がない。練習を始めるなら知らせろ、と言って相変わらず算盤塾に通っていた。
万斉はと言えば、三年A組の教室を訪れていた。
「武市変平太殿とお見受けする」
黒々とした瞳、髪は七三分け。体育祭の時、目を留めた男子生徒である。
教室を出て来た所を呼び止められた武市の方は、不思議そうな顔――否、不思議な顔立ちで廊下の向かい側に立つ万斉の元に歩み寄った。
「確かに私が武市ですが」
「唐突ですまぬ。拙者、河上万斉と申す」
武市は何も言わない。ただ見透かすような目を万斉に向けるばかりである。しかしサングラス越しの万斉の表情は読み取れないだろう。
「拙者の名、聞き及んでいると自惚れても構わぬか」
「何故です」
「お主、ドラマーでござろう」
万斉の断定的な言葉にも、武市は表情を動かさない。
「それも、かつてはかなり熱心に練習したのではござらぬか」
「それはまたどうして」
「足でござるよ」
無表情同士の応酬だったが、ここで万斉がふと笑みを見せた。
「体育祭で、偶然お主の足を見た。右足だけ筋肉のついているのはドラマーの証しでござる」
黙っていた武市が口を開く。こちらは相変わらずの無表情だった。
「他の可能性は考えなかったのですか」
ただ、声には呆れが滲み出ている。再び表情のなくなった万斉は、事も無げに言葉を返した。
「結果的にそうでござったのだから、構わぬ」
「全く」
やれやれと言わんばかりに武市が息を吐く。
「ええ、あなたの言う通りです。私は叩けます。それにあなたのことも、それに体育祭で走っていた高杉さんとバンドを組もうとしていることも知っていますよ」
「話が早い。お主もやらぬか」
「あなた、自分が何年生か自覚しているんですか」
「受験のことならば、承知しているでござる」
「わかっていませんね」
「拙者と、バンドが組めるのでござるよ」
言葉の応酬がぴたりと止む。廊下には下校していく生徒達の姿が途切れようとしていた。
「大層な自信ですね」
武市は再び大きな溜め息をつく。
「ま、誘いに乗る私も人のことは言えませんが」
万斉が手を差し出した。武市もそれを握る。
「後悔はさせぬ。拙者がそんなことは許さぬ」
「ええ、そうでなければ困ります」
食えぬ奴、と万斉は胸に抱いた言葉を口の中で呟くに留めた。確かにその耳はドラムの皮が張られる音を聞いた。
武市と連絡手段を交換し合った万斉は校舎を出た。既にグラウンドには練習に勤しむ運動部の姿があった。校門を潜り、一人帰路につく。足元を見やれば、いつの間にか春の終わりを告げるがの如く蒲公英が白い綿毛を掲げていた。
「河上先輩!」
聞き覚えのある声。ありきたり、けれど確かに耳に心地よい音。
振り返った万斉は、いつぞやの少女の姿を認めた。
「来島、また子殿でござったか」
また子は駆け寄って来ると、万斉の言葉には全く反応を示さず言った。
「体育祭のアンカー走ってた、高杉先輩とお友達って本当スか」
相変わらず、不躾な。
万斉は胸中で苦笑したが、表情には全く出さない。
「確かに晋助とは友人でござる」
「バンド組むって噂は? おばさんから、河上先輩しばらく活動休止するって聞いてたけど、再開するんスか」
「バンドは組むが、あくまで校内での話。拙者が活動していたことを大々的に明かすつもりは」
「ならあたしもバンド入ってもいいっスか」
勢い良く言うまた子に、万斉は些か気圧される。答えに窮したその沈黙の中で、万斉はまた子の音を聞いた。
弾むような、煌めきを伴うリズム。アモーレ。いや、そんな艶めかしさはない。もっと激しく、真っ直ぐに、軽やかに。
「恋でござるか」
「はっ?」
ぼそりと万斉が呟けば、また子は見る見る間に顔を赤くしていく。
クレッシェンド。ミット・アイレ。
ありきたりと切り捨てるには、愛おしさを感じる音だった。
「晋助と共に音を奏でたい、と」
「そうっス」
頷くまた子の頬はやはり赤く、万斉を見上げる。
「承知したでござる」
「いいんスか」
「勿論でござる」
「やった!」
おそるおそる確認したまた子は、万斉が了承の言葉を口にすると本当に飛び跳ねて喜んだ。金色の髪が光る。
跳ねる、光る、煌めく、弾ける。優しく風が吹けば、春を乗せて綿毛が旅立った。
「いい曲が浮かびそうでござる」
はしゃぐまた子を見やって、万斉は淡く微笑む。
零れるのはありきたりなラヴソング。