風が吹けば土埃が舞い上がる。運ばれて来るのは砂と、微かな火薬の匂い。
「さあ、ついに最後の種目となりました」
 ずっと実況解説をしていた訳ではないが、自分の組を応援していたのだろう、放送部の声は少し枯れ気味だ。
「四人でバトンを繋げ、対級リレー!」
 歓声が上がり、音楽が流れ始める。入場して来る選手達。
「序盤一位を走っていたA組ですが、中盤からじりじりとB組が追い上げ、終盤では逆転、A組を突き放します。B組が単独一位という状況です。そして目が離せないのがやはりZ組。破天荒に順位を乱高下。奇跡の大逆転も夢じゃない!」
 妙に殺気立つグラウンドの空気を肌で感じながら、晋助はアンカーの位置について出番を待つ。隣には伊東が座った。
「高杉晋助君だね」
 無視しようと思っていた晋助は、仕方無しに伊東の方を向く。
「連携プレーが大事になって来るこの競技で、転校して来たばかりの君がアンカーとは」
 伊東は眼鏡を押し上げた。その仕草がどうにも癇に障る。
「僕の勝ちだね」
 晋助の中で何かが跳ねた。
「位置について」
 晋助の視界にクラウチングスタートの姿勢を取る神楽が入った。晋助は伊東に同じく侮蔑の視線を返す。
「てめェ、何か勘違いしてねェか」
「ようい」
 空気が張り詰める。グラウンド中の視線がスタートラインに集中する。
「リレーは連携プレーだぜ」
 走るのは一人だが、戦うのは四人だ。
 伊東の顔が歪む。破裂音が青空を裂いた。グラウンドの熱が一気に上がる。
 まず飛び出したのは神楽だった。順調に後勢を引き離し、バトンは沖田の手へ。
「チャイナ、俺に任せなせぃ」
 渡る筈だった。
「おおっと、やはりZ組はトラブル発生か!?」
 神楽がバトンゾーンの手前で立ち止まる。その顔面全体で「嫌だ」と主張していた。その間に、B組のバトンが篠原に渡る。
「何してんだァアア!! 今はそんなことしてる場合か!」
 新八渾身の突っ込みの甲斐あってか、神楽は渋々バトンを沖田に渡す。既にZ組はB組、C組に抜かされ、A組に抜かされそうになっていた。
「やはり笑わせてくれるね、Z組は」
 何故か伊東が得意気に眼鏡を押し上げ、晋助を見下ろす。晋助は相手にしなかった。
 沖田はA組を突き放し、C組に迫り、追い抜く。しかし沖田とは言え、相手も足が遅い相手ではない。B組に追い付くだけに終わった。
「河上っ」
 篠原が次の走者に助走を促す。それはZ組も同じで、バトンゾーンで万斉と新八が併走した。
「Z組が追い上げて参りました!」
 興奮が高まる。バトンが三人目の走者に渡る。
「第三楽章は早くなるもの」
 万斉が笑うのを、晋助は黙って見ていた。
 果たして三周目、万斉は新八を引き離す。しかしスタート位置についた伊東の顔は芳しくない。B組とZ組の間は、あるようでない。安心は出来ない。
「言っとくが、俺は早ェぜ」
 助走を始めた伊東の肩に言葉を置いた晋助の横を、万斉は通り過ぎて行き。
「高杉さん!」
 新八の呼び声を合図に、晋助も走り出した。バトンが手の平に触れた。
 湧き上がる歓声の中を足を交互に突き出す。観客の顔など判別はつかない。ただそこにあるのは空気。期待、驚嘆、興奮、興奮、興奮。祭りの最後を飾るに相応しい、熱狂。
 俺らのもんだ。
 小柄な晋助の方が小回りが効く。最終カーブで伊東を捉え、抜き、前に出る。空気が沸点に達した。
「高杉、突っ走れ!」
 名も知らぬ誰かが、晋助の名を呼んだ。白テープが腹に触れる。
「一位はZ組、Z組です!」
 溢れかえった熱狂が、そこら中を跳ねる。
「高杉!」
 誰かが、晋助の名を呼んだ。クラスメイト達だった。

 閉会式も終わり、後片付けを最下位だったC組にまかせ、帰路につく生徒達。皆口々に最終レースの興奮を語る。突如として現れた眼帯の少年が話題にならない筈はない。
 その中に、どこか重い足取りの伊東がいた。慰めるように篠原が付き従う。
「見事なレースでござった」
 万斉が声をかけると、篠原だけしか振り返らない。伊東はそのまま歩を進め、篠原は向き直るとすぐにその横に追いつく。万斉も足を早めて伊東の隣に並んだ。
「君、力を抜いただろう」
 開口一番、伊東はそう言った。万斉は無表情で応対する。
「まさか。最高のレースを演出する為には、手を抜くなどありえぬ」
「演出って、まさか何か小細工を」
 弾かれたように篠原が万斉を睨み、噛みつく。しかし万斉はどこ吹く風だ。
「小細工をしたのはお主でござろう、伊東殿。大方、篠原殿に土方殿のマヨネーズをすり替えるよう言った、違うでござるか」
 困ったように篠原が伊東の顔を伺う。伊東は憮然とした顔のままだ。万斉は無表情のまま語り続ける。
「負けたくないという想いは結構。しかし姑息な手を使っては、負けを認めるのと同じでござる」
 ぎり、と伊東の歯が軋んだ。万斉を睨み、嘲笑う。
「そういう万斉君は何をしたのかね」
 すると、初めて万斉は笑った。伊東に向けての笑顔でないことは明らかだった。
「拙者は、少々調律に手を貸したまで」
 では失礼、と万斉は伊東と篠原を追い抜く。軽快に歩むその道に、ヘッドホンから染み出た音が尾を引いた。

20090531