パン、という乾いた音が晴天に響いた。雲一つない空。穏やかに流れる風は、掲げられた校旗をはためかせる。
「これより銀魂高校体育祭を、開催します!」
 駆り出された放送部員が、少し上擦った声で告げれば拍手が上がった。生徒席よりも観客席からの方が音が大きい。
 しかし始まってしまえば、生徒の方が盛り上がるのは必須。そんな中、応援席で胡座を掻き、万斉は競技を見ていた。今行われているのは五十メートル走だ。万斉は既に百メートル走に出場し、無難に得点を自分の組に加算していた。ただ観戦となると声を張り上げることもなく、ヘッドホンからはお決まりの音漏れがしている。あまり真面目な観戦態度とは言えない。サングラスには走っていく足が映り込んでは横切っていった。
 不意に、万斉がある足の持ち主の顔を見上げる。黒々した目の、七三分けの生徒。
「これはまた意外な」
 にやりと笑った万斉は、手元のペットボトルのスポーツドリンクで喉を潤した。自然と空を仰ぐ形になり、万斉は屋上に小さな人影を見つける。
「万斉君」
 背後から話しかけられ、万斉は振り返った。線の細い、眼鏡の男。
「何でござるか、伊東殿」
「最後の種目、対級リレーに君をエントリーしても構わんかね」
 眼鏡を押し上げ、手に持ったクリップボードを見やる。握っているボールペンに、几帳面にも伊東鴨太郎と記名してあった。
「構わぬが」
「ふむ、なら結構。僕と篠原君と君と、あともう一人は」
 伊東はぶつぶつ呟きながらクリップボードに何やら書き込んでいく。
 銀魂高校の体育祭は当日になってから各競技のエントリーをする仕様になっていた。当日の出欠席、体調を考慮し、尚且つ各自の最大エントリー数を守らねばならない。競技毎に配点が違う為、かなりの戦略を必要とする。伊東はその為にいろいろ策を巡らせているのだろう。その伊東の姿を見て、万斉は微かに笑みを漏らした。
「どうかしたかね」
 途端に、つっけんどんな声と視線が向けられる。万斉はそれすらに淡く笑みを返した。
「伊東殿がこういった行事に精を出すとは少々意外でござる」
「ふん、確かに下らない馬鹿騒ぎだ。しかしだね」
 伊東はにやりと口角を持ち上げる。
「僕に敗北は似合わないだろう」
 きょとん、と万斉は目を丸くしたが、それはサングラスで隠された。しかしその後に噴き出したのは見咎められない筈がない。
「何が可笑しい」
「これは失礼」
 言葉とは裏腹に、まだ万斉は肩を揺らしていて。立ち上がると憮然とした顔の伊東の脇を通って、校舎の方へ歩き出す。
「負けず嫌いはそう説得すればいいのでござるな」
 まだ人影は屋上の柵にもたれかかっていた。

「やはりお主か」
 錆び付いたドアを開け、万斉は青空の下に身を晒す。屋上にいたのは黒髪眼帯の少年、晋助だ。振り返って万斉の姿を確認すると唇を歪め、また下の喧騒に目をやった。
「今日は来ぬかと思っていたでござる」
 万斉がその隣に立つと晋助は笑みを引っ込め、校庭に背を向けて空を仰ぐ。
「何だかんだ祭だからな。一応来てみたが、やっぱりつまんねェ」
「確かに転入してすぐでは、楽しむのは難しいやもしれぬ」
 万斉は校庭に視線を戻した。無表情。
 晋助は黙ってしまった万斉の方を垣間見て、再び空を眺める。しかし、しばらくすると肩を揺らして笑った。
「ところでお前ェ、何しに来たんだ」
 校庭を眺めていた万斉は、晋助の方を向いて首を傾げる。晋助も万斉の方に首を傾け、言葉を続けた。
「連れ戻しに来たのかと思ったが、違うみてェだな」
「連れ戻すとはまた、何故」
 薄く笑っていた晋助はふと仰け反っていた姿勢を元に戻し、目を真っ直ぐ万斉に向ける。
「そういうこと言う奴が多いんだよ」
「お主の望まぬことをしても、お主はさしていい音を響かせぬでござろう」
 半ば睨み合っているような、張り詰めた空気。破ったのはどちらからともなく漏れた笑い。
「やはりお主は面白い」
「てめェこそ、変な奴だろうが」
「そうでもござらん」
 一通り肩を揺らすと、万斉は息を吐き出す。
「晋助のいるZ組でござるが、負けそうでござるよ」
「別に、俺の知ったことじゃねェな」
「お主に負けは似合わぬと思ったが」
 また下でピストルの音が響いた。晋助が喉を鳴らす。
「そんな手に俺が乗るとでも思ったか、万斉」
 万斉は口角と一緒に肩を持ち上げた。
「いや、駄目元でござった。しかし晋助、ここは一つ乗ってくれぬか」
「俺に何の得になる」
 吐き捨てるような晋助の言葉に、万斉は答える。

 応援席に戻った晋助を待っていたのは、体育祭だと言うのに鬱陶しく髪を下ろしたままの桂だった。
「何で、俺が」
 ゼッケンを突き出した桂の顔を、晋助はまじまじと見つめる。
「仕方ないではないか。土方君はマヨネーズにあたってしまったのだから」
「情けねェ理由だな」
「うむ、全くだ。という訳で高杉、走れ」
 晋助は黙って桂を睨む。
「お前しかいないんだ。各自出場回数は限られているし」
 脇で見ていた銀八が、やれやれと言わんばかりに息を吐く。
「ヅラ、お前がそのヅラ外せば考えるってよ」
「何っ、そうか。ならば仕方あるまい――って違う、ヅラじゃない、桂だ」
 三年Z組の応援席のどんちゃん騒ぎの隅で、担任の銀八と桂、晋助が話している。
「っていうか何が幼なじみの俺に任せろ、だよ。全然駄目じゃねーか」
「あーいたアル」
 騒ぎの中心にいた筈の少女が、三人の近くに駆け寄った。杏色のお団子頭を上に向け、晋助を見上げる。
「高杉、時間はないけど少しでも練習するアルよ」
 手にはバトンを握り、鼻息荒く神楽が告げた。
「最初にあたしがびゅーんと飛ばして他の組を引き離すアル。その後サド野郎と新八のせいで何人か抜かされるかもしれないアルから、アンカーの高杉には頑張ってもらいたいアル」
「俺は出ること決定みてェだな」
 鼻で笑い、晋助はふらりと応援席を離れる。
「高杉くーん、どこ行くんですかー」
 片手をメガホン代わりにして、銀八がその背中に声をかけた。すると晋助は振り返り、唇を歪める。
「練習するんだろ」
 その顔は、妙に楽しそうで。
 神楽は応援席から沖田と新八を引っ張り出し、晋助の後を追った。
「あたしのことはリーダーって呼ぶアル」
「何でチャイナがリーダーなんでさぁ」
「誰がリーダーとか、どうでもいいじゃないですか。とりあえず今は練習しましょうよ。折角高杉さんが走ってくれるんですから」
「そうだてめェら、負けたら承知しねェからな」
 四人連れ立って、校舎の裏の方へ歩いていく。そこならば、ある程度直線状の空間が確保出来た。練習にはもってこいの場所である。
 四人の背中を見送りながら、銀八は肩を少し上げて笑った。
「何だ、最初からあの子やるつもりだったんじゃん」
「やはり学校行事には参加しておくべきでござるな」
「そうだな。って君クラス違うよね」
 応援席に残っていた銀八と桂の横に、当たり前のように万斉が立っている。銀八が突っ込みを入れると、表情を動かさずに肯定した。
「敵情視察でござる」
「何っ、ならば俺も敵情視察に」
「いやもう、還れ。お前らまとめて土に還っていいよ」
 パンパン、と二回ピストルの音がグラウンドに響く。競技終了の合図だ。
「次は、女子応援団によるチアダンスです」
 アナウンスが流れ、スズランテープで作ったポンポンを手にした女子生徒が出て来る。約一名、白い布を被ったお化けのような風体の者もいるが。
「対級リレーって、これの次の次か」
 あ、あの子可愛い、と呟いてから、銀八は相変わらずの気だるげさで空を仰ぐ。
「もうすぐ終わっちまうなあ、体育祭」
 校旗と国旗は、いい具合にはためいていた。

20090531