「おーい、こら帰んなさーい」
「やだ」
見事なまでの即答。名前 は自分の席に座って、文庫本を読んでいた。
「でもほら、彼氏君待ってんじゃないの」
名前なんだっけ、と銀八が問うと、名前 は相変わらず視線を本に落としたままで答える。
「B組の――……」
名前 が口にした名前は、一週間前に聞いたものと異なっていた。がしがしと銀八は頭を掻きながら、のんびりと名前 の席まで歩いて来る。
「お前、今年入ってから何人目だよ。ちょっと男遊び激しすぎない?」
隣の机に腰掛けた。名前 の項が西日を浴びて飴色に輝いているのを、ぼんやりと眺める。
「先生には、関係ない」
「心配してるんですー」
唇を尖らせれば、名前 は銀八を見上げた。
「何で」
「何でって、色恋は面倒事絡むととことん面倒なの」
「ふーん」
名前 が、読んでいた本に栞を挟む。
「面倒なこと、先生、経験したんだ」
「まあね、先生も一応大人だから」
脇に掛けていた鞄を音と共に机に置く。ファスナーを開けて、本を滑り込ませて、ファスナーを閉じて、そして手が止まった。
「ねえ、銀八先生」
「んー」
淡々と紡がれる名前 の声が、空気を揺らした。
「なんで男の子って、キスしたがるの」
「え、なんでってそりゃあ、好きな子とキスしたいのは当然じゃん」
「じゃあ、キスしたくないと好きじゃない訳」
「いや、そりゃあ違うだろうけどよ」
「キスが目的で、付き合うの」
鞄に乗せていた手がずるりと落ちた。
「なんかあったの」
「何もない。だから、困ってる」
俯く名前 の頭に、銀八は手を置く。ゆっくりゆっくり、頭を撫でる。
名前 は、キスが嫌いなんだ?」
「わかんない。だけど、自分が汚れてく気がする」
「それ、その男嫌いな証拠じゃ」
「ううん、好きだよ」
名前 の口から好き、と零れると銀八の手が止まった。しかしそれは一瞬のことで、すぐにまた銀八の手は名前 の頭の輪郭をなぞる。
「じゃ、そいつのキスが下手なんだな」
「下手とか上手とか、あるんだ」
「あるある、大ありだよ」
頭を撫ぜていた手で、真っ赤に染まった耳に触れた。反応した名前 が、弾かれたように銀八を見上げる。見開かれた、潤んだ瞳。銀八は喉を鳴らして笑った。
「教えてあげよっか」
「あ、いや、その」
口をぱくぱくと開いたり閉じたりする姿は、まるで餌を求める魚のようで。
「言っとくけど先生、キス上手いよ」
そっと顎に指をかける。
「あ、う」
揺れる瞳。原因となる感情は、動揺が模範解答。
「なんてね」
もう一方の空いた手で、銀八はくわえていたペロペロキャンディを名前 の口に突っ込んだ。
「餓鬼がキスなんざ早ェんだよ。そいつでもしゃぶってろ」
銀八が机から降りると、がたんと机から抗議の声が上がった。
「とっとと帰れよー、最終下校時刻過ぎてるから」
呆然とする名前 を教室に残し、銀八は何事もなかったように教室を出て行く。
 それを見送った名前 は、そっと口からキャンディを出した。棒をくるくると回転させれば、きらきらと煌めいた。

期待も正解にしたいところだけど、生憎俺たちは教師と生徒。

aferword

銀さんは物凄くキスが上手そうだなあ、と思ったので。
今後ともお付き合い頂ければ幸いです。

20090220 縁